子供歌舞伎

毎年5月5日の早瀬の日吉神社の山王例祭では、舞台型の山車(ヤマと呼ぶ。若狭地方における山車類の呼称のほとんどがヤマである)が曳き出され、その上で子供歌舞伎「寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)」が演じられる。(町指定無形民俗文化財)

 

早瀬の歌舞伎の始まりは口伝では以下のようである。安政3年(1856、安永年間〔1772~81〕との説も)、当浦にコレラが流行し、多数の死者が出た。その際、浦の放光山瑞林寺(曹洞宗)の住職である和光和尚が「これは神仏の祟りである。人身御供として子供歌舞伎を奉納せよ」との信託を受けた。そこで浦では山車を建造し、翌安政4年5月8日、区内の寺社に子供歌舞伎を奉納したところ、これらの流行は収まった。

しかし、この由来についてまとまった形で書かれた文献などは確認できていない。

 

子供歌舞伎は日吉神社社前をはじめとする区内各地巡行する山車の舞台で上演される。祭礼の期日については、昭和50年(1975年)までは5月7日を宵宮、5月8日を本祭、5月9日を後宴として3日間にわたって行われていたが、昭和51年~55年の間は男児の減少と費用の負担の大きさから歌舞伎は中断されていた。昭和56年に再開し、その際5月5日に変更された。またかつては地区内8箇所で上演されていたが、現在は日吉神社前と瑞林寺前の2箇所のみで行われる。

 

例大祭当日は午前5時半から化粧・着付けが始まり、午前7時から日吉神社で神事が開始される。午前8時半ごろ役者が神社に参拝し、拝礼やあいさつを終えると境内で子供会の太鼓と浦安の舞が奉納され、続いて社前の山車で「寿式三番叟」が奉納される。上演は1組25分間で3組全ての奉納が終わると次へと移動する。

 

役者となるのは小学校4・5年の男子で、現在は「寿式三番叟」のみ奉納していますが、江戸期から大正期には「鎌倉三代記」「太閤記」「三勝半七」「梅忠」など、120余の台本から時代物・世話物・艶物を選んで上演していた。昭和に入り、芝居は2幕になり、昭和42年(1967年)ごろから、「寿式三番叟」のみが上演されるようになった。

 

江戸後期から大正時代の早瀬は廻船を多く備えた水産物の集散地、また稲扱機の生産地として、商家や旅館、料亭が立ち並ぶ港町として繁栄した。そういった財力を背景に、美浜町では他に例を見ない華やかな芸能「子供歌舞伎」が続けられてきた。

 

(引用・参考文献:わかさ美浜町誌「美浜の文化第四巻 舞う・踊る」、美浜町商工観光課ホームページ)

 

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